間違いなく、田中角栄氏は戦後日本の国土作りの第一人者でした。国土関係の議員立法だけでも50本に及びました。立法者の義務を果たしました。
しかも、開発だけでなく、古都や飛鳥の保存のあり方などを決めたのも田中角栄氏です。農業の株式会社化と農地の保全などの先駆的な提案もしています。
一方で彼は、自分が作り上げた戦後日本の国土の限界にも気づいていました。
「都会の過密、地方の過疎は限界に達した」
「日本のすべての地方を大都会と同じように便利にして、一方で都市の過密を解消し、もっと住みよい国を作る」
このように日本列島改造論の冒頭で述べています。工場や大学を地方に強制的に移転させました。
しかし、時代が合いませんでした。太平洋ベルト地帯と東京への集中こそがその後80年代末までのジャパン・アズ・ナンバーワンを作りました。
さらに、世界一高い高速料金を温存したことに代表されるように、地方に金や物を配っても自立は与えない中央集権のあり方が、地方の衰弱を招いたのでした。
そして、饅頭5個と言われる道路財源からの様々な利権こそが田中角栄氏の権力の源泉でした。利権があるから政策の変更ができなくなりました。時代は変わりました。お金も利権もないことを売り物にした小泉首相が生まれました。
しかし、東京も地方も平等だと訴えた田中角栄氏の功績は消えるものではありません。そして、今の時代ほど、東京以外から日本が元気になることが必要な時代はないのです。
「角栄さんが生きていれば高速道路をタダにする」。その言葉を改めてかみしめます。