くにうみの先見

農業から離れたほうが高収入

農家の八〇%は農業以外の収入を主とする。そのうち農家の六〇%を占めるいわゆる準主業農家の総所得の平均は八六三万円。そのうち農業所得が九三万円。農業所得依存度はわずか一一%にすぎない。これに対して主業農家の総所得は七四九万円であり、準主業農家よりも低い。こうした事態はどのようにして生まれたのだろうか。
高度成長期以降、機械化によって大規模農業が可能になる技術的条件は整った。経済効率性だけでなく、有機農法、経営多角化、環境対応、食品安全性の追求などのさまざまなニーズに取り組むにも一定以上の規模が必要だ。しかし、大規模化は進展しなかった。売却などを通じた農地の集約化が起きず、大規模化と効率化、そして農家一戸当たりの農業所得の向上も起きなかった。機械化はむしろ小規模な自作農家の兼業化を促進し、農業に使う時間と努力を減らすことが進行した。高度経済成長以降は、企業、官庁・農協・金融機関、公共事業による土建業、など収入が高い農業以外の仕事に同時に就くことが可能になった。補助金も大きな収入源になった。
こうして、農業に従事しながらも、頭打ちの農業収入を補う道が農家に開かれた。個々の農家にとっては真剣な生活の選択の結果だ。しかし、それは農業経営に専念することによる意欲を減らし、結果として日本の農業を衰退させた。
さらに大きな一時収入を農家にもたらしたのは、農地売却収入だった。農地法は自作農以外への農地売却を原則禁止しているが、公共事業での用地買収は例外である。高度成長と財政の拡大に伴って、行政による農地の買収価格は農地の生産性にかかわりなく上昇を続け、農家に大きな一時収入をもたらした。一方で、農地としての取引は自作農の間に限られ、多くの自作農は零細で規模拡大どころではない。しかも、農産物価格は一般物価に比べて下落したから、農地の生産性はあまり向上せず農地価格は上昇が限られる。
農地を手放してもいいという農家にとって、安い価格で農地として売却したり、返してもらえるかどうか不安な貸地にしたりするよりも、年々実施される公共工事の用地買収が自分に回ってくるのを待つほうが経済的に合理的だった。
この傾向は、日本が経済大国になり、財政規模と公共事業が拡大した一九八〇年代以降にいっそう顕著になる。人口移動が鈍化し農地の宅地転用による収入が減って、公共事業による用地買収が大きな収入源になった。農地の固定資産税や相続税などの税負担は軽い。こうなると、農家にとって経済合理的な行動は、農地を保有し、さまざまな補助金は受け取りながら、農業にエネルギーを費やすよりも兼業によって収入を確保し、公共事業の用地買収を待つことになる。農家からの政治的圧力にも支えられて、公共事業への財政支出は増え続けた。農業が土地保有業の性格を強め、自作農による農地の拡大と農業発展という農地法の目的は破綻した。
耕地面積は耕作の放棄などによって一貫して減少している。作付け延べ面積は、一九六〇年(昭和三十五年)の八一三万ヘクタールから二〇〇一年には四五二万ヘクタールにまでほぼ半減している。一方、耕地面積そのものは、同じ期間に六〇七万ヘクタールから四七九万ヘクタールへと二五%の減少にとどまっている。農業の担い手がいなくなっているために二毛作などが激減し、農地が十分に利用されていないのである。さらに、田の約三割が減反によって使われていない。国土の狭い日本が農地を活用していないことも農業衰退の大きな原因となった。

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